Happy chocolate

七次元先から愛を伝えるよ

ただ、「ただ、20年生きてきた人間の感想文」を

この記事を、ただ「憧れ」だけを胸に秘めて燻っていた2015年時点の僕に捧げます。

 

自分語り記事です。取り留めなく書いてるのでかなり読みにくいとは思います。

「僕のことが好きな人だけ読めばいい」シリーズです。

 

10/17は僕の誕生日です。今年で20歳になります。

18や19になった時は全然実感湧かなかったんですけど、いろんな人と会って、話して、10代を卒業することの重みを感じています。今年から色々なしがらみから抜け出せるし、様々な責任が降りかかってきます。大変です。死んでしまうかもしれません。

とはいえまずは、20歳になったことを喜ぼうと思います。

 

先日、ふせったーに次のような文章を書いてました。

 

なんで急にこんな自分語りをしたのかというと、「不安になったから」なんですよね。前に進むことで自分の足跡が消えてしまうような気がして、誰にも知られないまま自分の想いが消えてしまうような気がして、それがすごく嫌だったので、どうしても書きたくて書きました。

今見るとすげー恥ずかしいすね。とはいえこれも一つの「あしあと」なので、しっかりと後に続く形で残しておこうと思います。

今日ここに記すのは、そんな僕の、いままでの「あしあと」の断片です。

 

 

 

さて、タイトルにもある通りこの記事は"ただ、20年生きてきた人間の感想文"です。

僕の20年間を振り返って、自分はやはり「逃げてきた」人間なのだと実感させられます。そもそも今東京にいるのだって、究極的には受験から逃げたせいです。僕の怠慢です。センター試験がいくら難化していたとはいえ、勉強してなかったツケが回ってきただけです。

ただ、不思議と今は後悔はそんなになくて。もちろん、反省はすごくしていますし、過去の自分の言動を振り返って今の言動を見直したり、そういうのはあります。だけど、その全てが今の自分を形作っているんだとしたら、あまり後悔するようなこともなかったのかなぁ、と思います。

 

人生で最も大きな失敗は、中学三年の時でした。あるクラスメイトと取っ組み合いで大喧嘩をしてしまったんですよね。何があったかとかはまぁ置いておくとして、当時の僕は(いや今もそうなんですけど)自尊心と自己顕示欲があまりに高かったので……最終的になんやかんやあって復縁したし今は年1ぐらいで会って遊んだりとかもあるんですけど、その後も僕の言動で人を傷つけることが結構あって。そういう交流の中で、ミスをした時に一歩引けない自分の性格を顧みたりして、反省したりしてて……。

僕は究極的にはだれか他人と喋ってないと死んじゃうタイプなので、出来るだけ多くの人と仲良くしたいなあと思っていて。でも僕が一方的に人を傷つけてしまう性格だというのも経験としてあったので、じゃあ僕のほうはできるだけ他人の考えを受け入れていきたいなあと思っていて。「僕の考えを受け取ってほしい」「僕は人の考えをすべて受け入れたい」、そういう拗れたスタンスがTwitterでは前面に表れて、「そぉい」という人格として浮き出ているのかなあ……いや、違うな。結局のところ僕は僕の意見を理解してほしい、僕の意見を受け入れてほしいだけで、その一方で人の考えを否定したり自分の意見を押し付けたくないからいつも自分の中で抱え込んでしまうだけなのかもしれないし、結局のところ最後まで自分が一番好きで自分の意見が正しいと思ってしまっているからそう感じてしまうのかもしれないですね。

最終的には自分と違う意見を受け入れてることに対する嫉妬かもしれないし、自分の意見や考えが受け入れられない苛立ちかもしれないし、自分が他人の意見を受け入れられない自己嫌悪なのかもしれないし、そのあたりの感情はいまいち自分でもよくわかってなくて……ただ、自分の意見を押し付けて優位に立つことはしたくないので、どうしても拗れた状態になってしまう部分はあり。

攻撃的になることで良く働く場面もあるのかもしれませんが、今の僕は出来る限りそうありたくなくて、でもどうしても抑えきれなくなった時に何か別の手段で一度出力する必要があって。そういう時にふせったーやブログで文章にして投げ込んだりとかするんですけど、これが結構自分の性に合っていたのかなぁ、と。「文章が書ける」「何かについて語れる」ということを武器にできる、ということを知れたし。いやまあ溢れて飲み会とかで声に出ちゃうこともあるんですけどね!そういうことするたびに「うえ~~~~愚痴聞かせるの申し訳なさすぎる~~~~」って思ってる!

ただまぁ、正論でケリを付けられる部分と感情や個人的なポリシーで譲れない部分とみたいなのはあるので、結局自分がどこかで折り合いを付けて諦めてくしかないんだろうな~みたいなのはありますね。人と付き合っていくのは難しい。うまくなりたい。

 

 

 

話は少し変わりますが、僕は結局、壇上に上がりたい「だけ」の人間なんだな、と思います。

最初にブログを書き始めたのも、競技DMに力を入れるようになったのも、動画制作や謎製作に手を出していたのも、コラ画像作ったりしたのも、すべては「界隈」というストリームの上で誰かに注目されたいからでした。僕の尊敬する(尊敬……?)人間の一人であるchomosh氏は「僕の目標はいつだって優勝じゃなくて、壇上に上がって暴れること」と書いていましたが、僕だってまさにそうだな、と思っています。

結果的に今ではすべて繋がってこうして生きてるわけですし、いろいろな支えもあって(特に「らじふぇの」関連は本当に心の支えになっています。喋ってるのも楽しいですし、応援の声もすごく暖かいです)楽しくやれていて、本当にありがたいことだな、と。今いろいろな形で繋がった縁を失くしたくはないな、と本当に強く思うわけです。

 

ああ、尊敬する人間。

自分に重ねている、という意味も含め、今の自分を形作っている人が、何人かいます。

たくさん 寄り道 したけど
何一つ 無駄なことは 無かった
比較的  家に籠った おかげで
ゲームや映画や音楽と すごい仲良くなった
 
狂ったようにブログ書いてたから
ラップの歌詞 書くのがすごい早い
ゲーム実況 やってたから 動画も作れる
全部 役に立ってる
全部 無駄じゃ なかったから
 (夢なんか死んでしまえ - webnokusoyaro)

何回言えば気が済むんだって話なんですけど、知っての通り僕はwebnokusoyaroがめちゃくちゃ好きです。素っ頓狂なラップも、その内に秘めた芯の部分も、何もかも。

引用した歌詞の部分は、まさに今の自分もそうだな、と。かつて手広く活動していたおかげで、それが大きな形となって「誰かの何か」になっている。それがたまらなく嬉しくて、こうして文章にしたくなってしまいます。かつての自分を、今の自分が肯定している。僕の物語は、「逃げて来た自分」を、「何かを諦めた自分」を、受け止めて、肯定して、自分の中で昇華させる物語なのかもしれません。

webnokusoyaroが僕の中で輝いて見えるのは、実際に形に成して、芯に秘めた熱量を作品として打ち出して、僕に影響を与えてくれたからで。きっと僕はそれに憧れているんだと思います。

 

 

 

「憧れ」と「共感」。

なんというか本当に自意識過剰なんですが
僕がみやびさんに惹かれた部分はきっとそういった感情への共感や憧れで
自分と重ねたり、想いを繋げたり
そういった過程の中で少しずつみやびさんを知って、好きになっていて
相棒として生きていくと決めたんだなぁ、って感じです 

こう書いたとおり、僕にとっての「好き」は、常に「憧れ」と「共感」という感情と隣り合わせに生まれるものでした。きっとそれは皆が言うように「理解」とは程遠いのだろうけれど、少なくとも僕が人に惹かれるとき、その根底には常にその人物の人となりに対する憧れがあって、その中から自分との共通点が垣間見えた時に強く惹かれているような気がします。

そうして惹かれていって深く知った「恋ヶ崎みやび」という人間は、やはり自分に強く影響を与えているのでしょう。

……ただ、正直なところ、僕はこれに関して強くなにかを想うことはまだなくて。先日もデイトラ等でいろいろあったんですけど、僕はいま例のオルゴールに全ての想いを託しているので、それが帰ってくるまで何も言うことができなくて。

僕の想いが伝わるかどうか。一世一代のラブレター。どんな恋よりも果てしなく遠くてこんなにも近い、たぶん最初で最後のラブレター。購入日は7/27なので二次発注組です。返事が今から楽しみですね。

 

 

 

 

今までの人生を振り返るのならば、僕にとって欠かせない人物がまだひとり。

それは僕の「母親」です。

 

母親は僕のすべての根源です。僕がゲームをするのも、アニメを見るのも、漫画を読むのも、全部母の影響があってのことです。

もともと母はサブカルチャーに造詣が深く、また僕と同じで人に何かを語り伝えることが好きな人でした。好奇心も旺盛で趣味も手広く、そういった関係から知識量も深いので母の語りはとても心地よく楽しいものでした。母の語りを聴いて影響を強く受けていた僕は順当に母と同じ趣味を持って生きてきています。

僕が7歳の頃に両親が離婚し(仲が悪いわけではなかった、と思います。いろいろな事情があっての円満離婚のはずです)僕が父のもとに引き取られたということもあって、母は僕にとって「母親」である以上に「最も近い理解者」であり「人生の先輩」であり「親友」でした。

母は僕の好奇心を肯定し色々なことを教えてくれました。基本的にそれは優しく、時に僕の暴走を止めるような形で厳しく。月に数度しか会うことはありませんでしたし、今では年に1~2度のペースでしか会えませんが、会うたびに様々なことを教えてもらいました。

「人と話すことの楽しさ」「同士と語らうことの喜び」を教えてくれたのも母でした。自分の好きなコンテンツを、そして母の好きなコンテンツを、お互いに一方的に情報交換し、お互いに影響を与え合って生きてきました。

エウレカセブンとか、輪るピングドラムとか、そういう僕に強く影響を与えた作品を勧めてくれたのは母ですし、アトリエシリーズやアルトネサージュといった僕の今の「人生」とも言えるガストコンテンツに手を出した切っ掛けは、僕が幼少の頃に母がプレイしていたマリーのアトリエでした。僕の人生のほとんどは母に揺さぶられました。そんな母の姿に憧れを抱いていたのはまあ当然のことですよね。「頼れるお姉さん」としての側面もあったワケですし、僕にとっては何もかものルーツが辿ればきっと母の影響を受けてのものだとわかるのでしょう。

そういう人物が身近にいて本当に良かったな、と今になって思います。本当にありがたいことです。感謝感謝。

 

 

 

 

総括。

つまるところ、僕の物語は、憧れと好奇心とほんの少しの自己顕示欲が織りなす物語なのだ、と。そう総括することができるでしょう。

憧れを追いかけて、その結果を、自分の姿を、常に誰かに向かって表現していきたい、けれども自己表現のための能力はそんなに無い。どうにか自分のいられる場所を探して、見つけて、もがいて、「俺はここにいるぞ」をアピールしている。

そんな人生だと、思います。

 

「目的を持って生きること」が大事なのだと教えてもらったことがあります。

僕にとっての目的とは常に「誰かに見てもらうこと」です。

それはきっとこれからもそうだと思います。ただ、その方法が変わっていくだけです。

何も僕は無茶なことをして注目されたいとは思いません。ただ真っ当な手段で、真っ当な方法で自分を表現して強くなりたいと考えています。そのために今何ができるのか、もういちど考えたいと思います。もちろん今受け入れて頂いている部分はより納得のいく形に仕上げた上で!

 

改めて、今まで僕に関わってくれた全ての人に、ここで感謝を述べたいと思います。特に関東に来てからの2年近く、DMや謎解きやトライナリーを通じて関わって遊んでくれている人たちには多大なる感謝を述べさせてください。本当にありがとうございます。お酒も飲めるようになったことですし、またいろんなところに遊びに行きましょう。これからもよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

おわりに。

dokkanogakusei.blog76.fc2.com今回の記事は、冒頭にも書いた通り2015年、つまりこの記事を読んだ時から温めていたネタでした。内容もさながら、「節目の時期に記事を投稿する」という儀式めいたものにわずかばかりの憧れを感じていたのです。いつか僕も20歳になったら、「20年目の思うこと」を文章にして、「今までのこと」「これからのこと」をブログに書こうと決めていました。『「ただ、20年生きてきた人間の感想文」から始まって「目的を持って生きること」で終わるSS企画』みたいなもんだと思ってください。

当時からがせーなさんにはTwitter上でお世話になっていましたし東京に来てからもちょくちょく絡んで頂いていて本当に感謝感謝です。当時から今までずっと僕の憧れのような存在でした。今後もよろしくしていただけると幸いです。勝手にいろいろ引用してごめんなさい!

今回の記事は「自分の書きたいこと」をある程度詰め込みながら書いたんですけど、それでもまだまだ書き足りない事とか言いたいこととかいっぱいあるんですよね。「好きなものに対するスタンスのこと」とか、トライナリーのこととか、「挫折」の話とか、あと音楽の話とかカードゲームの話とか!それぞれ知ってる人は知ってるだろうという話なんですけど、それでも一度こういう形で「自分のあしあと」を全て残しておきたいので……

 

 

ということで、今回は僕が20歳になったよ、という記事でした。クソ長くてつまんない自分語りでごめんなさい、でもぜひ聞いて欲しかったんです!それでは今日はこのへんで、つたない自分ですがこれからもよろしくお願いいたします!