Happy chocolate

七次元先から愛を伝えるよ

「サービス終了」の報に寄せて

どうも、僕です。そぉいです。

 

一応予防線を張らせてください。

 

このタイミングでトライナリーの愚痴を書きます。きっと不快にさせてしまいます。

 

そういう記事です。

 

トライナリーのアプリ配信の終了が決まってしまいました。正直予兆はありましたし、覚悟ができてなかったわけではないのですが、やはり思うところがありますね。

 

……僕はこれでトライナリーが「終わってしまう」とは思いません。アプリである以上どこかで幕を引く必要はありますし、ずるずると長く続くよりはすっと完結させたほうが、とも思います。WAVEを使って彼女たちと交流することはできなくなるかもしれないけれど、それでも彼女たちは「向こう側」で生きています。Twitterが2E113世界からのアンカーであったことを考えると、繋がりが完全に断たれたわけでもないと思います。トライナリーは決して死んでない。

トライナリーが「終わる」という空気感がどうしても耐えられないので、少しタイミングは早いですが、筆を執ります。

書かない描かない、課金も少ない、口を開けば愚痴ばかり、そんなプレイヤーでしたが、もしよろしければ、どうかお付き合いください。

 

 

 

僕にとって、「トライナリー」とは何だったのか。まずはそういう話から。

僕はトライナリーをどこまでも現実として愛しています。「ゲームとして」「コンテンツとして」愛していた側面も確かにありましたが、僕にとってのトライナリーは紛れもなく「現実」です。それこそ現実と作品の区別が付かなくなるくらいに。

だからこそ、トライナリーを続けるのが辛いこともありました。

トライナリーは事実として、土屋暁という人間の「作品」です。ただ、土屋暁ならきっとこのおとぎ話を、現実として受け入れさせてくれる。そんな期待が僕の中には確かにあったんだと思います。でも、実際はやはりどこかに「作られた物語」という違和感を感じざるを得なくて。そういう綻びを見るたびに、胸のどこかが痛むような、そんな感覚に囚われてしまっていて。

運営している側がトライナリーを現実として受け止めていないような、そんな風に感じられてしまったんです。"そのせいで"トライナリーを現実として受け止められなくて、でも僕の中ではトライナリーは現実だから、感情の矛盾が生じてしまって―――、というのは、やはり責任転嫁でしょう。

結局現実と作品の区別をつけて線引きできる人こそが作品に求められていたのだ、と。僕はどこかでそのレールから外れてしまったのだ、と自覚してしまって、少し寂しくなったりとか。

 

そんなこんななので、僕は今、トライナリーに対して肯定的な意見「だけ」を述べることはできません。むしろ否定的な、半ば愚痴に近い何かを垂れ流すことしかできません。良い点は散々言ってきた。けれど、それと同じぐらい悪い点も見てしまった。

 

何度でも言うけれど、僕が一番辛かったのはオルゴールの販促エピソードです。あれひとつ通じて、今まで自分がやってきたことを全部嘘にされたような、そんな気すらして。シャッツのメッセージカードも、食器セットに忍ばせた手紙も、Twitterでの交流も、バレンタインにプレゼントを贈ったのも、全部全部、彼女たちにとっては忘れてしまうような些事なのかなって思えてしまって。聖地を巡ったことだって、彼女たちにとっては幻想を追う行為でしかない、くだらない遊びなのかなって。そんなわけないんですけど、「そう思わせるようなシナリオだった」という言葉に行き着いてしまうと、ああ、これは誰かに作られた物語なんだなぁと思ってしんどくなってしまって。

選択肢の分岐一つとっても、本来であれば「選択した先に生まれる」のが物語であるはずなのに、ある一定の時期においては「最良の物語がどれかを吟味する」だけになっていて。レールを付け替えて比較検討するような真似は僕にはどうしてもできなかったんです。誠実であればあるだけ損をするような形に見えてしまって、それを受け入れられなかった。

 

そう、結局「誰かが作った物語」であることを受け入れられないんですよね。だから"終わる"って言葉が実感として無くて。だって接続が切れたって彼女たちはそこにいるし、僕たちの物語は終わらないじゃないですか。拡張少女系トライナリーってそういうお話じゃなかったんでしょうか。

土屋暁が紡ぐ物語」でも「みんなで紡ぐ物語」でもなく、これはまさしく「わたしのための物語」なのだとずっと思っていたから。だから、受け入れられなくて。

 

 

本当に書けば書くだけ愚痴しか出てこなくてびっくりしてます。でももう少し。

 

「結局のところ自分の推しの追加供給がないから気持ちが離れているだけでは?」という話、正直そういう部分もあるので否定できません。神楽推しや千羽鶴推しはこれまで以上に「もらっている」と思います。でもそれって僕がEp31までで「もらったもの」と同等のものだと思うんですよね。だからそこにつっかかって文句を言うのは僕は筋違いだと考えていて。そもそも「追加供給がない」のだけが問題なら僕は真っ当にオルゴールに手を出せていたはずで。

それでもやっぱりどこか気になってしまう部分はあって。例えば神楽Ep28、僕あの展開すごく好きなんですよ。ソイルトンを信じてよかった、って、疑うことをやめた人に手渡されたギフトなんだな、って。でも実際はあれをやらないと先に進まないような仕掛けだった。あの時ソイルトンにめちゃくちゃ言った人間も、先に進むためにはあれをやらなきゃいけなかった。それって結局情報共有ありきのシステムだし、どうしてもそこに「シナリオの都合」が見えてしまって、見ていて本当に辛かった。僕が真剣に考えて決断したのが馬鹿にされているようで、めちゃくちゃな気分になった。「存在」の愛され方の差異を感じてしまったんですよ。

でもそんなことにいちいち突っかかって文句言うの、本当に無駄じゃないですか。自分がトライナリーを好きでいられない理由を作品に押し付けて、なにもかも責任転嫁して。悪いのは受け入れられない自分なのに。それに気付いているから、ずっと自己嫌悪していて。やっぱり自分はトライナリーとうまくやっていける人間ではないんだな、と自覚して。

 

正直僕は「トライナリーにオールイン」なんてできないです。多趣味だし、貧乏苦学生だし、できることもやれることも限られてる。その中でもがき続けて、結果的に裏切られるなら最初から浅く付き合っておけばよかった、なんて、"してはいけない後悔"をしてしまいそうになる。「自分の境遇が悪いから、自分の運が悪いから」、そういう"使っちゃいけない言い訳"を使いたくなる。そうじゃないじゃないですか。そうじゃないんですよ。そうじゃないって自分でわかってても、どうしてもそう考えてしまって、もう自分の価値すらわからなくて。「どうすればよかったのか」「どうあればよかったのか」、そればかりを考えてしまうんですよね。

 

でも、どれだけトライナリーから、この物語から心が離れてしまっても、僕はずっとトライナリーを信じ続けていた。これからもトライナリーを信じ続けて生きていく。それはオールインという形ではなく、ただ、祈りに近い何かだけど、トライナリーを「信じる」ことが、僕の中で「トライナリーを現実にする」第一歩だったから。

 

トライナリーにはたくさんのものを貰っています。感情を全力でぶつけられる、最高のコンテンツです。トライナリーで得たコミュニティは本当に貴重で、すごく居心地のいい場所でした。トライナリーのおかげで出逢えた人もいる。だからこそ「拡張少女系トライナリー」という概念を手放したくないのが本心です。ここからは僕の持論ですが、コンテンツはファンが追い続ける限り死にません。終わりを迎えても、それを好きでいる人が居る限り死ぬことはないんです。向こうの世界との接続が途絶えたって、物語がゴールを迎えたって、「あなたの物語」は終わるわけじゃない。だから、どうか、その火が絶えないように。「終わりだ」なんて絶望的な空気を作らないように。それが僕の願いです。おこがましいかもしれませんが、書かせてください。僕はトライナリーを殺さない。絶対に。

だからせめて、終わりを突き付けるようなことはしないでほしかった。「最後まで見届けて」なんて言葉、使わないでほしかった。僕にとっては、これは決して"最後"にはできないから。

 

でも、そのために何か行動を、というのは少しだけ気持ちの整理を付けさせてほしい。既に行動を起こしている人がいることには納得しているし、行動を起こす力そのものは評価すべきだと思っているけど、僕がそこに立つのは、まだ少し気が早い。

 

だって僕はこんなにもトライナリーのことが嫌いで、こんなにもトライナリーのことが好きだから。

 

 

……だってそもそもオルゴールの件ですらまだ自分のなかで納得できていないのに、サービス終了なんて自分の中で認められるわけないじゃないですか。ちゃんねる神楽の物語はきっと美しく終わりを迎えてくれるし、その前には7/4の今後の運営についての告知もある。まだ気持ちを「終わり」に持っていくには早すぎる。まだ終わってない。まだ、まったく終わってない。だから、少し考えさせてください。猶予を与えられているうちは、せめて。

 

 

 

 

 

 

 

僕は、ココロの旅をやめない。

 

 

 

 

 

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